「40代終活専門家とは」

こんにちは。当ブログにお越し頂きありがとうございます

当ブログは、主に40代の皆さんに「終活」の大切さを伝えるためのブログです

終活って、年寄りの「死支度」だと思っていませんか?

終活には2つの大きな目的があります

  1. 残された家族に迷惑をかけないように判断や伝達ができなくなった後に備えること
  2. 人生の最期を意識しながら、これからの人生を自分らしく生きる準備をすること

終活と聞くと多くの方は、定年後のシニアが子供に迷惑をかけないように、資産や身の回りのものを整理したり、介護や相続などの準備(上記の1の方)を思い浮かべられます。

もしもの時の意思表示も大切ですが、45歳(ブログ開設時)の私が皆さんにお伝えしたいのは上記2の

人生の最期を意識しながら、これからの人生を自分らしく生きる準備をすること

の方です。

「WIN WIN」で有名になった7つの習慣というビジネス書籍があります。会社員時代に何度も読んだ本で、もちろん定年後のシニアをターゲットにした終活の本ではありません。

その7つの習慣の中の2つ目の習慣が、

「終わりを思い描くことから始める」

なのです。

「あなたが亡くなった後、大切な人にあなたのことをどう表現してもらいたいか?」

から始まるこの章は、人生が有限である事に気付き→人生における目標を明確にして→目標を個人の憲法として掲げ→その目標に向かって行動すれば、

「あなたの人生の望む方向へ間違わず進むことが出来る。」

という内容が記されています。

この活動って、普段会社ではしてたりするんですよね。半期の目標があって、その目標を達成するために今月何をするかといった活動に落とし込んでいく。仕事では終わりから逆算していくことが出来るんですけど自分の人生については私も含め大概の人がやってない。

また別の個所にこんな文言もあります。

『仕事に追われ、「活動の罠」に人はいとも簡単にはまってしまう。成功への梯子をせっせと登っているつもりでも、一番上に到達したときにに初めて、その梯子は間違った壁に掛けられていた事に気付く』

あなたはどうでしょう?人生の向かう方向が分かっていますか?梯子は正しい壁に掛かっていますか?もし間違った壁に掛かっていたとしたら、それに気付くのが定年後で間に合いますか?

今の仕事は楽しいですか?

私は、母親の急逝と勤務先の早期退職がたまたま重なったことで、半分強制的に

「終わりを思い浮かべる」

ことになりました。

 結果、新卒から22年勤務した会社を【コロナ禍】真っ最中に退社しました。

母親の急逝を受けて、葬儀や相続の手続きなどで苦労したことがきっかけで「終活」の大切さを知ったのですが、次第に「終活」は私も含めた40代の方々にこそ1番知って頂きたいものだと考えるようになりました。

 あなたも

『子供の教育費がかかるから会社に居続けなきゃ。』

『起業・副業に興味はあるけど難しい?』

『親も自分も、年をとってきたなあ! 仕事の責任は増す一方だけど。』

そんなことを考えていませんか。

・・・その通りですよね。私もそうやって20数年過ごしてきました。

・・・ぼんやりとした仕事への「不満」と、将来への「不安」を持ちながら。

会社員の気持ちが痛いほどわかる、私が、会社の外から世の中を見てみて、

『これ知っておいた方が良いな』・『これ役に立つな』

と思ったことを『終活』の視点を中心に、投稿していきます。

「終活」以外にも面白そうなことや気になることは、

『やってみます』ので、

営業ネタ・起業・副業などの「参考」に。

日々の仕事のプレッシャーから、いっとき「現実逃避」をするための「娯楽」として。

ゆるくお付き合い頂けると幸いです。

about 

アドレスに残る「こぼすけ」とは?

・・・こぼすけの名前の由来は、何年も前に息子がYouTuber時のだった時の芸名を会社員時代にハンドルネームとして拝借して、先代の引退に伴いそのまま襲名しております。

こぼすけうまいうまい棒たべる。

・・・袋がうまく開けられないやつ

想い

おじさんが早期退職して、終活で起業なんて聞いたら

窓際の仕事のできないハゲおやじの暗い独りごとのサイトか

なんて感じていらっしゃるかたもいると思いますので、もう少し自分の事を書かせて頂きます。

・・・ハゲはあってます。 

新卒から20数年、住宅関連の大手建材メーカーで営業をしていました。

カーポートとかウッドデッキなどの

『無くても困らないけど、あると生活が豊かになるよね。』

という位置づけの家の外回り製品(エクステリア)を扱っていました。

売り込むことより売れる仕組みをつくる方が得意な営業マンだったので、

「販促物を作る」・「市場拡大を啓蒙するような勉強会の実施」・「お客様の店舗運営のお手伝い」といったことや、泥臭い営業の一環として「電動ドリル片手に工事を手伝う」などもしてました。子会社の商社に出向し、新規出店の立ち上げにかかわった事もあります。

・・・震災後の2年間、ずっと売上支社NO1だった事もあります。

退社後の現在も、自分自身のビジネスを作る過程で得た知識を、主にエクステリア業界の企業様とシェアする事で、販促のお手伝いなどもさせて頂いています。

いろんな仕事を、それなりに楽しくやらせて頂いてました。

もちろん楽しい事ばかりではなく、月末の数字が足らず実家にフェンスをつけたこともあります。またエクステリア業界の中ではなんとなく『クレームはメーカー負担』と思われている所があり、理不尽と思われるお客様からの要求にも対応してきました。

関係がこじれた得意先を担当する事が多かった事もあって、鬱寸前まで追い込まれたこともありましたが、乗り越えてきました。

退社前の2~3年は営業以外のことにチャレンジしたいという気持ちが大きくなっていきました。1度は縁あって営業をサポートする側にまわり、そこからさらに次のチャレンジをと考えていたら、また営業に戻され、なんとなく今までの経験でルーティンを回すだけの日々になっていました。

そんな折、母が83歳で急逝しました。歌の会・木彫の会・体操の会を近所の友達と立ち上げ会長をしているような「近所で有名な婆さん」でした。死ぬ前月にgo toトラベルで草津に行き、亡くなる前週には、私と孫を引き連れて焼き肉を食べていました。

私はそれまで母親が死ぬなんてことを想像したこともありませんでした。本人も不定期に入退院を繰り返している父を看取ってからと思っていたはずです。

母は急に腰の痛みを訴え入院し、翌朝には呼吸が止まりました。病院で母の心臓を動かし続けてくれていた看護師さん達の手を止めさせたのは私です。
そこからはじまった準備不足によるドタバタ劇の最中に、勤務先での早期退職の募集が重なりました。実家に1人残された病弱な父の心配もありましたが、母の死後に残された家族の失敗談を皆が繰り返さないよう、

終活を世に広めていく事が、なにか「天命」のような気がしたのです。

人生100年時代。『仕事』・『家族』との向き合い方。

エクステリアも終活も、『気づき』が重要だと思っていますが、

エクステリアは「無くても良いけどあると生活が豊かになるもの」

ですが、

終活は「その時がきて、準備をしていないと確実に後悔するもの」

です。

人生100年時代と言われだしました。老後2,000万問題や年金の受給年齢引上げの話、8050問題なんて話を聞くと、経済的リスクの話ばかりが思い浮かびます。

しかしながらこれらの話は、死へのイメージをますます遠ざけています。

ホームレスですら死なない長寿大国日本。

平和は何よりです。長寿大国は喜ばしい事ですが

「人は必ず死にます」

そんなことは子供でも知っています。しかしそれを我が事としてイメージすることは無いし、したいとも思わない。

『残された家族に迷惑をかけたくない』『子としての責任・親としての責任を全うしたい』

人も

『元気なうちは引退なく楽しく働きたい』『どうせなら社長まで上りつめたい』

人も、

人生・キャリアのピークを一気に駆け上がるための準備として、始めませんか?

「終活」

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