母の死。

終活

 昨日、母の四十九日の法要を、無事済ませて参りました。83歳でした。亡くなる1か月前には、自ら計画して友達とGO TOトラベルで草津。1週間前には、孫を引き連れて焼き肉を頬張っていました。

 11月の土曜日に腰が痛いと呻きだして急遽入院し、少し様子が安定したので、月曜から検査を予定していたそうですが、日曜の朝には心臓が止まってしまいました。私は隣町に住んでいて同居はしてないので、父から入院の連絡があった際『腰が痛いのね!!』位にしか思ってませんでした。日曜日の朝、ジョギングから帰ると、嫁様から蒼い顔で、病院からすぐ来てほしい旨の連絡が何度も入っていると伝えられます。嫌な予感しかありませんでしたが、急いで支度をして病院に向かいました。嫁様も同じことを思っていたのでしょう。子供2人を部活から家に戻していました。

 病院にはコロナの影響で、私しか病室に入れませんでした。そこではスタッフの方々が心臓マッサージをして、母を『死なせない』でいてくれました。母も、口につけられた管の周りから少し出血していました。身内が判断するまで、この作業を止めることができなかったのでしょう。なので私が、母の鼓動を止める判断をしました。いろいろよくわからないフワフワした精神状態でしたが、スタッフさんと母に、

『遅くなって申し訳ありません。』みたいなことだけ思ってた気がします。

 その後、

死因(推察)の説明⇒父と姉へ説明の連絡(病院からそれぞれに連絡はしてもらってましたが、姉は仕事中。父は冷静な受け答えが出来ないと判断されてたみたいです。)⇒病院に渡された葬儀社に連絡⇒葬儀の打ち合わせ⇒葬儀の連絡⇒葬儀⇒最低限の事務手続き⇒四十九日と続くのですが・・・。

(・・・母の話と今日に至る話は、書き出すと長くなるので、それぞれをまたの機会に書きたいと思います。)

 私は、今日に至るこの過程で、45歳の成人男性という『あるべき姿』をかなり演じたように思います。数日前まですこぶる元気だった母と違い、平時でさえ、不定期に入退院を繰り返しているような父の、『放心・衰弱』ぶりがひどかったので、そうせざるを得ない部分も多かったのですが、この間、喜怒哀楽といった感情をどこか遠くに追いやっていた気がします。

『20数年目の社会人。』・『2人の子供の親。』・『母の自慢の息子。』

といった肩書・・・安倍晴明で言うところの【呪(シュ)】というやつ?

VS

『悲しみ』・『不安』・『後悔』

といった感じでしょうか?・・・この間に早期退職(リストラ)の話も入ってます。

 大切で身近な人の死に慣れている人など、なかなかいないのでしょうが、かなり気の張った日々の荷が四十九日を終えたことで、少しだけ軽くなった気がします。

 ・・・少しだけ、今日は酒を飲むかな?・・・少しで済むかな?・・・トイレで寝ないかな?

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